2008年04月21日

映画、『いのちの食べかた』

先日、『いのちの食べかた』という映画を観ました。

原題は「OUR DAILY BREAD」。
オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督のドキュメンタリー映画です。

『私たち日本人が1年間に食べるお肉(牛・豚・鳥)は約300万トン。
だれもが毎日のように食べている膨大な量のお肉。
でも、そもそもお肉になる家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、
どうやってパックに詰められてお店に並ぶのだろう?』(ITRODUCTIONより)。

このあと、ネタばれありです。



天井から吊り下げられている大量の豚肉。
その床を、淡々と掃除をする女性の映像から映画は始まる。

ナレーションやインタビュー、字幕といった、説明の要素は一切なし。
ただただ映像と、機械が回る音や生き物の鳴き声だけで、映画は進む。

人間の食料となるためだけに、生みだされ、育てられ、命を絶たれ、
切り刻まれてゆく、牛や豚や鶏たち。
機械で木を揺らして実を落とし、ショベルカーで“収穫”される木の実。
巨大な掃除機で吸い込まれるようにして処理場へ運ばれる鮭・・・。

誕生や出産といった“生命の神秘”とか“神聖”とか“感動”という括りで
語られがちな事象でさえ、人間によって管理され、機械的に処理されている事実。
たとえば、牛の種付け。
人工受精、っていうのはまあそうなんだろうなーと思うけれど、
実際に、こういう方法だったのか!と思うとちょっとショック。
「横取り採取法」、というのだそうです。(パンフレットより)
あわれ、雄牛。

これらの映像は主にヨーロッパで撮影されたものらしいが、
程度の差こそあれ、日本も似たようなものなのだろう。
目をそらしていたわけじゃないけど、知らなかった。
静かに差し出される、現実。

そして、それらの作業に従事する人々は皆、「だって、仕事ですから。」
とでもいうように、とても淡々と仕事をする。
そして作業を終えた彼らが、粛々と“食事”を取るシーンが繰り返し流れる。
何故か、ボディブローのように、ずしんと響く。

一方、巨大な工場や広大な農場は、皮肉なまでに美しい映像で綴られている。

一切の説明がないのに、いろいろ思う。

小学校の国語の教科書に出てきた、宮澤賢治の「よだかの星」を思い出した。
“よだか”っていう名前の醜い鳥は、自分が生きていくために虫とか、
いろんな命を犠牲にしなければならないことに悩んで、
最後は自殺して星になってしまうっていう話だった(と思う)。
私は、よだかににはならないだろう。
ただ、他の生き物の犠牲の上に、自分の命が成り立っていることを認識しつつ、
生きていかなければならないのだよね、とは思う。
それが本当のエコロジー(≒生態学・生態系)を考えていくことなのかも、とさえ。

この映画を観た夜、ふらりと訪れた「Φ」で、偶然nnさんに会い、
「今日、食べ物の映画観たんだよねー、えーと・・・」
「あ、『いのち食べ方』?」「あ!そうそう!」みたいな展開になり、
さらにカウンター越しにΦの平村さんが「観ました、それ!」と加わる、
ということがあり、それが、ちょっと嬉しかったりもしたのです。

話が拡散しましたが、ことほどさように、様々なことを喚起させてくれた
映画でもあるのでした。

『いのちの食べかた』、札幌はシアターキノで5月2日まで、静かに上映中。

追記:上映は5月中旬まで延長されたようです。




pyon1969 at 22:34 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!映画 

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字